手賀沼遊歩道付近の畑の土の上にカボチャが横たわっていました。
カボチャの原産地は中央アメリカで、日本には、450年ほど前にカンボジアを経て伝わったそうです。
カボチャの名前の由来は「カンボジアから伝わった瓜だから」だそうです。
中世の流行歌=今様(いまよう)を後白河上皇(ごしらかわじょうこう)が編(あ)んだ「梁塵秘抄りょうじんひしょう」にカボチャに関する面白い歌があるのでみてみましょう。
(371)
清太がつくりし みそのふに
にがうり あまうりの なれるかな
あこだうり
ちゞにえださせ なりびさこ
ものなのたびそ ゑぐなすび
意訳
清太(人名)が作った神さまへの供物を育てる御園生(みそのう=農園)に
苦瓜、甘瓜(=真桑瓜まくわうり)がみのったよ
アコダウリ(阿古陀瓜=紅南瓜 きんとうが =金冬瓜=カボチャの仲間)とかもね
あちこちに蔓(つる)を広げてゆけよ 生瓢(なりびさこ)(=瓢箪ひょうたん)
なにか言おうとしてその実を割るんじゃないぞ
もう味の落ちたエグ茄子(なすび)よ]
この唄はとても面白い今様に思います。
清太(きよた)を平清盛(たいらのきよもり)(注:その長男、重盛(しげもり)の幼名が清太)と解釈し、平家(へいけ)が繁栄していることを瓜やカボチャの茂っている例えで前段を詠い、余計なことを言うと六波羅探題(ろくはらたんだい)に捕まるぞ!、と続き、終わりに、出来そこないの茄子を食べてみたら「えぐい」味と「平家にあらざれば人に非ず」の風潮を批判した唄のような気もします。
平清盛と後白河院との確執から考えてみると、この唄を上皇は、面白がって編入したのかもしれませんね。
平安時代後期にユーモアのあるカボチャの唄が詠まれているのは楽しいですね。
この猛暑の夏も「笑い」で吹き飛ばしたいものです。
畑のかぼちゃは真夏の太陽に照らされてまるで、笑っているように転(ころ)がっていました。