なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

2羽のブッポウソウ

松之山付近の電線に2羽のブッポウソウがとまっています。

最初は少しはなれてとまっていましたが、徐々に近づいて2羽が仲良く並びました。


さて、今回は少し趣を変えて、ブッポウソウが霊鳥(れいちょう)で仏教三宝、仏・法・僧からの命名なので、僧侶の鳥に関する記述をみてみましょう。

仏教の僧侶は、深山に住んでいることが多く、夜、瞑想することも多いので、鳥の声と「悟り」との関係が話題になります。

道元禅師(どうげんぜんじ)は、「正法眼蔵しょうぼうげんぞう(諸法実相しょほうじっそう)の巻」に、彼の師の天童如浄(てんどうにょじょう)の入室のテーマ「杜鵑啼きて、山竹裂く(とけんなきて、さんちくさく)」の記述を残しています。

ここでいう杜鵑(とけん)はホトトギスのことです。

この言葉の解釈は、入室する修行中のプロの僧侶の考えるテーマなので、私のように座禅もしない凡人が言葉で表現することはとても無理なのですが、その雰囲気だけを以下に示します。

ホトトギスの鳴き声は、森羅万象(しんらばんしょう)の鳴き声となり、それ自身が悟り(諸法実相)なので、杜鵑(とけん)が啼くことによって全宇宙が開示され、その鋭い鳴き声は山にあった竹を裂いて覚者(かくしゃ)の心に響き、張り詰めた静寂の裂け目から、世界の実相が姿を見せるのです。

つまり、深山でホトトギズの鳴き声を聞くだけで、熟練の修行僧は、悟(さと)りを感得することができることを示しているようです。


さて、弘法大師空海((こうぼうだいしくうかい)の漢詩高野山(こうやさん)で鳴くブッポウソウを詠んだ詩があります。


「後夜(ごや)仏法僧鳥を聞く」  空海

閑林(かんりん) 独座(どくざ)す 草堂(そうどう)の暁(あかつき)三宝(さんぽう)の声 一鳥(いっちょう)に聞く一鳥(いっちょう) 声有り 人 心(こころ)有り声心(せいしん) 雲水(うんすい) 倶(とも)に 了々(りょうりょう)
(意訳)

山のひっそり静まった草堂の夜明けにひとりで座(すわ)っていると
どこからか「仏法僧(ブッポウソウ)」と鳴く声が聞こえてきます。
鳥は、ただ仏法僧と鳴くだけですが、私は、思わず心に感じて悟(さとる)ものがありました。
鳥の声と人の心、更にまた山中の雲と水とがまったく一つにとけあい、無限の感情を呼び起こすのです。



松之山付近では、いま、ホトトギスの鳴き声はよく聞こえますが、ブッポウソウと鳴くのはコノハズクなので,電線の一羽がクチバシをすこし開けて鳴いているようですが、ブッポウソウとは聞こえませんでした。

でも、姿のブッポウソウが2羽も見れると、普段なかなか見れない霊鳥ブッポウソウなので、とても有難い心境になりますね。