なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

紅梅に降り積もる雪

先日の関東の大雪の時の「東大柏キャンパス」の庭の紅梅に積もる雪景色です。


「紅梅や 見ぬ恋つくる 玉すだれ」  (松尾 芭蕉


この庭の敷地の奥に、宇宙の根源的な疑問に答えるために設立された国際的研究機関の「国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構」があります。

「神の数式」関連の研究をしているのでしょうか?

雪の降る日の紅梅の前で芭蕉の句を思い出しました。

現代の「見ぬ恋」は、「神の数式」かもしれませんね。





閑話休題ー「現代物理学と般若心経(はんにゃしんぎょう)」


「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫氏が、般若心経に興味を抱いたのは、戦後、東京大学教授としてロケット研究に携わっていた時、日本人で初めてノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹氏から般若心経の「色即是空、空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」の発想が、湯川氏がノーベル賞を受賞することになる中間子理論を生み出す基本だったと聞かされたことからだそうです。

糸川英夫著の「般若心経と最新宇宙論」(青春文庫)から引用してみます。

湯川秀樹氏は、「存在と理法」を中心とする一連の著書の中で、「中間子という発想をたてるのに、自分の知的教養というか自分のベースにした仏教の精神があったという、一種の告白というか、人生の記録というような言葉でそれが「色即是空」につながるという内容を述べられていました。」

ノーベル賞を受けた中間子理論のヒントは、「般若心経」にあると書いてあるんですよ。それで、湯川さんが東大に来た時どういう意味か聞いてみた。

そうしたら、「色即是空によって現代物理学が見事に説明できるのです。しかも、今日では実験的に証明されているんですね。」と言われたそうです。

また、糸川氏は、東大の工学部に入ったころ、隣の座席の旧友の自殺に会い、自分も自殺を考え始めたのですが、そんな時、同じ大学の物理学専攻の友人から、新物理学の話を受けて衝撃を受けます。

それは、「ディラック反粒子の予言」とアンダーソンの「陽電子の発見」による現代物理学の「真空」の解釈によるものです。

再度「般若心経と最新宇宙論」から引用してみます。

現代物理学が持っている絶対真空の概念は、「絶対真空というのは粒子と反粒子の対でいっぱいになっている。真空の中からその二つが叩き出されると一つが粒子で一つが反粒子になるが、同じ空間に消滅する」と言うでしょう。(中略)

「つまり我々の身体といっても物質すべては粒子でできているのですから、その粒子が真空の中から飛び出したとすれば、自分という存在も元々は「空」であり、宇宙の真空に入っていて、そこから飛び出している仮の姿にすぎないのです。ただ一条の光となって宇宙の彼方に飛んでいくだけなのです。(中略)

その晩から私は平静に眠れるようになったのです。

つまり死というのは、「空」に帰することだったのです。それを物理学がきちっと説明しているので、そのことが非のうちどころがない現実だとすれば、「死」という我々の身体が本当になくなり、もとの「空」のところに入って真空の状態になるというのは完全な消滅です。完全な「死」の状態になるわけです。この理論のおかげで中学一年のときから抱いていた「死とは何か」、「死んだあとどうなるのか」という問題に対してこれくらい明瞭な解答はなかったわけです。

今「般若心経」というお経の中で、字をさがしますと「色即是空(「しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)」と書いてあります。「色」というのは物質のことです。形のある物質のことです。「物質は真空と同じなんだ、真空は物質と同じなんだ」ということは、本当に奇(く)しくも量子論が「般若心経」が書かれて五百年も六百年もしてから、人間が他のやり方で考えた原理と全く一致した。ということです。
また、糸川氏は、「般若心経と最新宇宙論」のプロローグで

こんな現代物理学の理論を二千五百年も前に、お釈迦さまは宇宙の真理として見ぬいておられた。これはものすごいことだとおもいますね。

と述べています。

このように「死」や「死後のこと」を考えると、本当かどうかは別として、すっきりできると思います。また、日本の高名な科学者たちが、仏教の「空」と現代物理学の「真空」とを関連づけていることは、とても興味深いことだと思います。