なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

水辺の杜若(かきつばた)に近づくセイタカシギ

五月雨(さみだれ)そぼ降る中、セイタカシギが水辺(みずべ)の杜若(かきつばた)に近づいてきました。

水辺の貴婦人(きふじん)といわれる美しいセイタカシギなので、杜若の紫の花と同化して一幅(いっぷく)の絵となりました。

セイタカシギは、1998年版の第2次環境省(かんきょうしょう)レッドリストでは絶滅危惧(ぜつめつきぐ)IB(EN)類の指定を受けていましたが、近年渡来数(とらいすう)も多くなり局地的(きょくちてき)にも繁殖(はんしょく)するようになって全体的に増加傾向となったので2006年版 の第3次環境省レッドリストで絶滅危惧II類(VU)にカテゴリー変更されたようです。

また、

「かきつばた」も稀少(きしょう)な植物で、2007年8月の環境省レッドリストで準絶滅危惧(NT)に指定されています。(以前の環境省レッドデータブックでは絶滅危惧II類(VU)だったそうです。


ところで「かきつばた」といえば、平安時代歌人三十六歌仙(かせん)の一人、在原業平(ありわらのなりひら)が想(おも)い起(お)こされます。

江戸時代、東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の宿場町の池鯉鮒(ちりゅう)は、39番目の宿場として栄えました。その宿場の八橋町(やつはしちょう)の無量寿寺(むりょうじゅじ)の庭園に「かきつばた」の名所があるそうです。

この場所で、平安の歌人 在原業平が、「かきつばた」の5文字を句頭に入れて歌を詠んだといわれています。

「むかし男(おのこ)ありけり」の出だしで有名な「伊勢物語(いせものがたり)」九段の「東(あずま)下(くだ)り」に、平安時代の初め在原業平がこの地をおとづれたことが描写(びょうしゃ)されています。

「かきつばた」が美しく咲く水辺に腰をおろして、餉(かれいい=乾燥したご飯)を食べている時、友人から「かきつばた」の5文字をそれぞれ五七五七七の句の頭にすえて歌を詠むようにといわれて即興的(そっきょうてき)に詠(よ)んだのが有名な、

    からころも きつつなれにし つましあれば
          はるばるきぬる たびをしぞおもう

の歌でした。

その略意は、

唐衣(からころも)を長年着続(きつづ)けていると馴染(なじ)んできますが、ちょうどそのように慣れ親しんで来た妻を都に残しての旅は、思えば遠くまで来たもので、とてもやるせない想いです・・・。

友人達はみな業平の歌に心を打たれ涙したと描かれています。



以下に原文を記載します。

伊勢物語  第九段、東下り・その壱


むかし、男ありけり。

その男、身をえうなきものに思ひなして、

京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。

もとより友とする人、ひとりふたりして、いきけり。

道知れる人もなくて惑ひ行きけり。

三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。

そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、
  橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。

その沢のほとりの木の蔭に下り居て、餉(かれいひ)食ひけり。

その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。

それを見て、ある人のいはく、

「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」

といひければよめる。


からごろも 着つつなれにし つましあれば

はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

とよめりければ、みな人、餉の上に涙落して、ほとひにけり。




五月雨のそぼ降る中、稀少な「かきつばた」の花に近づく稀少な「セイタカシギ」の撮影が偶然できたので、何か得したような気分になりました。