なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

春の草花ーホトケノザ

先日このブログで掲載した、ヒメオドリコソウの咲いている空き地の路傍(あきちのろぼう)に、ヒメオドリコソウによく似たピンクの綺麗な花が咲いていました。

現在ヒメオドリコソウがいっぱい咲いている空き地は、以前は、ホトケノザがいっぱい咲いていて、おそらくホトケノザが、外来種ヒメオドリコソウに駆逐(くちく)され、辛くも残って路傍に生存しているのかもしれません。

それでも、ホトケノザは、明るい太陽に照らされて、すくすくと茎を伸ばし、ピンクの可愛い花を咲かせています。

こんなに綺麗な花が咲いているのに道行く人たちは、この端に無関心で忙しげに通り過ぎていきます。

かく言う私も毎日この道を通るのに気にもとめていませんでした。

この春の雑草の花たちは、人に気づかれていなくとも、ひっそりと咲いているのです。

さて、正月行事のひとつの「七草がゆ」で有名な「セリ、ナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ」のホトケノザはこのシソ科のホトケノザではないとのことです。

春の七草の「ホトケノザ」はキク科の「こおにたびらこ(子鬼田平子)」のことで別種の植物だそうです。

シソ科のホトケノザは,秋に芽ばえ春に花を咲かせて実を結ぶ別名サンガイグサ(三階草)と呼ばれる越年草です。

春は、知らないうちに忍び寄って来て、いつの間にか過ぎ去っていくことでしょう。。



ふと、李白の詩「春夜宴桃李園序」と松尾芭蕉の「奥の細道)(序文)」が頭をよぎりました


春夜宴桃李園序

夫天地者萬物之逆旅
光陰者百代之過客
而浮生若夢
爲歡幾何
古人秉燭夜遊
良有以也
況陽春召我以煙景
大塊假我以文章
會桃李之芳園
序天倫之樂事
群季俊秀
皆爲惠連
吾人詠歌
獨慚康樂
幽賞未已
高談轉清
開瓊筵以坐華
飛羽觴而醉月
不有佳作
何伸雅懷
如詩不成
罰依金谷酒數


(読み下し文)

春夜桃李園に宴するの序(しゅんや とうりえんに うたげするのじょ)

夫(そ)れ天地は萬物の逆旅(げきりょ)にして 光陰(こういん)は百代(はくたい)の過客(かかく)なり 而(しこう)して浮生(ふせい)は夢の若(ごと)し 歡(かん)を爲(な)すこと幾何(いくばく)ぞ 古人(こじん)燭(しょく)を秉りて夜遊ぶ 良(まこと)に以(ゆえ)有る也 況(いわ)んや陽春の我を召すに 煙景を以てし 大塊の我に假すに 文章を以てするをや
桃李の芳園(ほうえん)に會(かい)し 天倫(てんりん)の樂事(がくじ)を序す
群季(ぐんき)の俊秀(しゅんしゅう)は皆 惠連(けいれん)たり 吾人(ごじん)の詠歌(えいか)は獨り康樂(こうらく)に慚(は)づ 幽賞(ゆうしょう)未だ已(や)まざるに
高談(こうだん)轉(うた)た清し 瓊筵(けいえん)を開いて 以て華に坐し羽觴(うしょう)を飛ばして月に醉う 佳作有らずんば何ぞ雅懷(がかい)を伸べん
如(も)し詩成らずんば罰は金谷(きんこく)の酒數(しゅすう)に依らん


現代語訳

いったい天地はあらゆるものを迎え入れる旅の宿のようなもの。
時間の流れは、永遠の旅人のようなものである。
しかし人生ははかなく、夢のように過ぎ去っていく。
楽しいことも、長くは続かない。
昔の人が燭に火を灯して夜中まで遊んだのは、
実に理由があることなのだ。
ましてこのうららかな春の日、
霞に煙る景色が私を招いている。
そして造物主は私に文章を書く才能を授けてくれた。
桃や李の実ったかぐわしい香りのする園に集まり、
兄弟そろって楽しい宴を開こう。
弟たちは晋の謝惠連のように優れた才能を持つ者ばかりだ。
私独り、歌を吟じても謝霊運に及ばないのだが。
静かに褒め称える声が止まぬうちに、
高尚な議論はいよいよ清らかに深まっていく。
玉の簾を敷いて花咲く樹木の下に座り、
羽飾りのついた杯を交わして月に酔う。
優れた作品に仕立てなければ、
この風雅な気持ちはとてもあらわせない。
もし詩が出来ないなら晋の石崇の故事にのっとり、
罰として酒三杯を飲むことにしよう。


奥の細道(序文)」(俳聖 松尾芭蕉・生涯データベースより引用)

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

 草の戸も住替る代ぞひなの家

面八句を庵の柱に懸置。」



(現代語訳)

月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである。古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる、わたしもいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰ってクモの古巣を払い、しばらく落ち着いていたが、しだいに年も暮れて、春になり、霞がかる空をながめながら、ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、さっそく「そぞろ神」がのりうつって心を乱し、おまけに道祖神の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。そうしたわけで、ももひきの破れをつくろい、笠の緒を付けかえ、三里のつぼに灸をすえて旅支度をはじめると、さっそくながら、松島の名月がまず気にかかって、 住まいの方は人に譲り、旅立つまで杉風の別宅に移ることにして、その折に、人の世の移ろいにならい、草葺きのこの家も、新たな住人を迎えることになる。これまで縁のないことではあったが、節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろう。 と発句を詠んで、面八句を庵の柱にかけておいた。




オリンパス ミラーレス一眼 OM−E E−M1(パワーバッテリー・ホルダー HLD−7付).ズーム・レンズ  M.ZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7 II で撮影