なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

イボタノキの花の蜜を吸うモンシロチョウ

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上の写真はキヤノンEOS7DマークIIにEF70-200mm F4L IS USMを装着して手持ち撮影しました。

5月23日晴れ。久しぶりの青空。

手賀沼遊歩道のイボタノキの白い花にモンシロチョウたちが集まっています。
3〜4頭いました。

白い花の蜜を吸っているようです。

初夏に白い花が咲くキンモクセイの仲間、イボタノキ。

キンモクセイは中国原産の帰化植物ですがイボタノキは日本に元々から生える在来種とのことです。

そしてキンモクセイと同じく、豊かな香りを有しているので、ミツバチや蝶を呼び集める力を持っています。

モンシロチョウたちは、何度も、イボタノキにむらがり、初夏の御馳走を楽しんでいるようです。

喫茶去
今日が一番良い日と思って生きて行きたい。

世界は、低成長に向っています。コロナ以前からこの傾向は、続いています。

もう世界にフロンティアは、無くなりつつあります。

いっぱいフロンティアのあった時代を描いた司馬遼太郎
坂の上の雲」の冒頭文のような時代では、ないのです。

坂の上の雲
    ナレーション」
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まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中が
ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。
財政が成り立つはずは無い。

が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。

もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。

登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくでろう。

当時は、欧米などの大きな成長フロンティアが存在し、上を目指していけば良かった時代です。

太平洋戦争以後も、欧米の成長フロンティアが存在していました。

今や、中国も世界経済を牽引する力を失い、インドもまだ成長エンジンとしては、心もとない。

ですから、これ以上の成長戦略は、捨てて、現在を楽しく過ごすことが大切と思います。

幸い、我が国は、世界一の長寿国であり、美しい自然環境を持ち、世界有数の経済大国で、比較的所得格差の少ない自由な国です。
恐らく、アメリカの平均的所得より上回るものと思われます。
健康も皆保険制度により保証されています。

国家の安全保障に大きな問題がありますが、

今を、楽しく楽観的に生きることが大切な時代ではないでしょうか?