なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

桜の木の間を飛翔するツツドリ

この桜の疎林(そりん)には6〜7羽のツツドリがきているようです。

桜につくエサの毛虫を探して、広い餌場をツツドリたちが、縦横(じゅうおう)に動き回ります。

エサが見つからなければ、すぐに移動します。

もう食べつくしてしまったのか。先週より落ち着きがありません。

このツツドリたちも毛虫を探すのに苦労しているようです。

もうすぐ、旅立ってしまうのでしょうか?



「筒鳥なく 泣かんばかりの 据野の灯(すそののひ)」     (加藤楸邨










喫茶去(きっさこ):♪なじかはしらねど


最近は。朝は遅くなり、夕べは早く訪れるようになって秋の気配(けはい)を感じるようになってきました。

そんな秋の一日、なにげなく、岩波文庫の「ドイツ名詩選」のページを、ぱらぱらめくっていたら、ハイネの詩が目にとまりました。

その詩のタイトルは、「Ich weiß nicht was soll es bedeuten,」でその訳は「なにゆえこう悲しいのか [ローレライ]となっていました。

注)ドイツ語の音読みは「イッヒ ヴァイス ニヒト ヴァス ゾル エス ベドイテン」です。

私は、小さく印刷されている[ローレライ]を見た瞬間、学生のころ音楽の時間に習った「ローレライ」の歌詞♪なじかわしらねど こころわびて♪を思い出しました。

一度、思い出すとその後の歌詞も含めて、この歌詞が、頭の中で勝手にぐるぐるまわって消え去りません。

こうなると、「ドイツ名詩選」に収録されている現代語訳「なにゆえこう悲しいのか」は味気(あじけ)なくて、目ではその活字を追いかけていても、まったく頭にはいりません。

私の頭の中で、ぐるぐるまわっている「ローレライ」は、近藤朔風(こんどう さくふう)作詞の歌詞で、薫り高い(かおりたかい)歌い出しなので、私の頭には、「ローレライ」の歌詞は、この訳しか受け付けられないようです。

近藤朔風は、1880年(明治13年)2月14日 -に生まれ、1915年(大正4年)1月14日)に亡くなった夭折(ようせつ)(生存期間35歳弱)の訳詞家で、原詩に忠実な、歌い易い訳詞家として知られています。

彼のドイツ歌曲の代表的な訳詩は、菩提樹(ぼだいじゅ)「泉に沿(そ)いて茂る菩提樹」とかローレライ「なじかは知らねど心侘(わ)びて」とか、野ばら「わらべは見たり野中のばら」などが知られています。

彼は、大正4年に亡くなっていて、今では、著作権フリーとなっているので以下に「ローレライ」の訳詩を掲載させていただきます。



Ich weiss nicht, was soll es bedeuten (Loreley)ローレライ

作詞:Heinrich Heine、作曲:Friedrich P. Silcher 日本語詞:近藤朔風


1 なじかは知らねど 心わびて
  昔の伝説(つたえ)は そぞろ身にしむ
  寥(さび)しく暮れゆく ラインの流(ながれ)
  入日(いりひ)に山々 あかく映(は)ゆる

2 美(うるわ)し少女(おとめ)の 巖頭(いわお)に立ちて
  黄金(こがね)の櫛(くし)とり 髪(かみ)のみだれを
  梳(す)きつつ口吟(くちずさ)む 歌の声の
  神怪(くすし)き魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう

3 漕(こ)ぎゆく舟(ふな)びと 歌に憧(あこが)れ
  岩根(いわね)も見やらず 仰(あお)げばやがて
  浪間(なみま)に沈むる ひとも舟も
  神怪(くすし)き魔歌(まがうた) 謡(うた)うローレライ


格調の高い名訳ですよねぇ〜!


こんなに有名な曲は、誰でも知っていると思っていたら、どうも、そうでもなさそうです。

現在は、学校の音楽の教科書には載(の)っていないため、今の若者は「ローレライ」といえば、役所広司(やくしょこうじ)主演映画の「ローレライ」に出てくる潜水艦「伊五〇七」に搭載(とうさい)されたナチス・ドイツの開発した架空(かくう)の特殊音響兵装(とくしゅおんきょうへいそう)「ローレライ・システム」のことは知っていても、ハインリッヒ・ハイネ原作、近藤朔風訳詩の「ローレライ」の歌は、あまり知らないようです。

昭和は、遠くなりにけり!

Ich weiß nicht was soll es bedeuten,「イッヒ ヴァイス ニヒト ヴァス ゾル エス ベドイテン」「なにゆえこう悲しいのか」

もの思う秋です! でも、残暑は、厳しいですねぇ☀💦