もう我が家の近くの山吹は、とっくに花が散っているのに、この場所では今も咲いています。
この花を見るたびに子供の頃よく母親から聞かされた太田道灌(おおたどうかん)の「山吹の伝説」を思い出します。
その伝説というのは、
「太田道灌が、狩りに出かけた時、俄(にわ)か雨にあい、山の一軒家に立ち寄って雨宿りをし、蓑(みの)を貸して欲しいと頼んだところ、 出てきたその家の少女は、山吹の一枝を黙って捧(ささげ)げました。
道灌は、雨をよける蓑を借りたいのに、なぜ山吹の花のついた枝を出されたのか、その訳(わけ)が分かわからぬまま、ずぶぬれのまま雨の中を帰館したそうです。
道灌は、 不満げに老臣に尋ねると、その少女は古歌「山吹の歌」によるものといわれ、和歌の素養のないことを恥じた。」
という故事なのです。
その古歌とは中務卿兼明親王 (なかつかさきょうかねあきらしんのう)の詠んだ和歌で、後拾遺集に書かれている歌なのです。
小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、
山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、
山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける。
なヽへ八重 花は咲けども 山咲の
みのひとつだに なきぞあやしき
詞書(ことばがき)の意訳
小倉山付近の家に住んでおりました頃、雨の降った日でしたが、来客があって、帰りがけ蓑を借りたいと言われたので、山吹の枝を折って持たせました。
その人は事情が呑み込めずに帰って行きましたが、何日か経って、山吹の真意が解らなかったと言って寄越したので、その返事に歌を届けました。
歌の意訳: 山吹の花は七重八重に咲くのに、実が一つも結ばないのは不思議ですね
実は「 お貸しすべき蓑ひとつ無くて心苦しいことです。」
山吹の「実」と「蓑」とが掛け言葉になっています
この故事は、江戸時代の流布本(るふぼん)湯浅常山の『常山紀談』巻一「太田持資(おおたみちすけ)歌道に志す事」などに引かれ、広く知られるようになったそうですが、以下に示すように「あやしき」は「かなしき」に書き換えられています。
注)太田持資は太田道灌のこと
太田持資歌道に志す事
太田左衛門大夫持資は上杉宣政(のりまさ)の長臣なり。鷹狩に出て雨に遭ひ、
ある小屋に入りて蓑を借らんといふに、若き女の何とも物を言はずして、
山吹の花一枝折りて出だしければ、花を求むるにあらず、とて怒りて帰りしに、
これを聞きし人の、それは
七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき
といふ古歌のこころなるべし、といふ。
持資おどろきてそれより歌に志をよせけり。
今でも、山吹の花を見るたびに母親のことを思い出します。
母親から教わった歌は「悲しき」のほうの歌で、今でも記憶しています。
今の時期は晴天が続いていますが、 もう沖縄は「梅雨入り」したそうで、関東ももうすぐ「梅雨入り」するそうです。
「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」 (松尾芭蕉)