なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

白鳥飛翔

明けましておめでとうございます。

素晴らしい年となりますよう祈念いたします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

この白鳥は、昨年12月末日に撮影した印西市上空を飛ぶコハクチョウです。

この白鳥のように羽ばたいていける年となりますように!





閑話休題長唄「小鍛治」


お正月になると、テレビなどで、よく邦楽の番組が放映されます。

私が正月で思い出す長唄は、「小鍛治」(こかじ)なのです。この邦楽のレコードは、高校のころ自分で購入した唯一の邦楽のLPレコードでした。

その頃、クラシック音楽のレコードも満足に買えなかったのに、なぜ購入したのかあまり記憶にないのですが、お正月にはよく聴きましたし、この長唄をよく練習もしました。
いまでも、この長唄が大好きで、歌うこともできます。

♪稲荷山(いなりやま)三つの燈火(ともしび)いい〜い、♪いい〜い〜い〜明らかに〜♪ 

先日、このブログで「お不動さん」について書いた文章の中に、平将門の乱の平定のための「天国(あまぐに)の宝剣」についてふれました。

天国と書いて、「てんごく」ではなく「あまぐに」と読みます。

天国は、昔の刀鍛冶(かたなかじ)の名前ですし、彼が鍛(きた)えた名刀の名前でもあります。

特に天国は日本刀剣の祖とされる伝説の刀鍛冶で、それまで直刀(ちょくとう)だった日本刀を反(そ)りのある湾刀にしたはじめの人と伝えられています。

実は、長唄の「小鍛治」にも数多くの名刀の名前が出てきます。もちろん、天国も登場します。

今日はお正月なので関東地方の初詣の名所の鹿島神宮(かしまじんぐう)の宝剣にもふれながら、刀のお話をしてみます。

現在「日本刀」と聞いて一般的にイメージされるのは、反りのついた太刀(たち)ですが、その太刀が出現したのは平安時代中期以降からで、それ以前は反りのない直刀が使われていました。

鹿島神宮茨城県唯一の国宝{布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)}は、直刀です。

実は「ふつのみたまのつるぎ」は、別名平国剣(ことむけのつるぎ)とも言われ、建御雷(たけみかづち)の神が、大国主(おおくにぬし)の神に国譲りをせまったとき帯びていた霊剣であり、熊野の高倉下(たかくらじ)を通じて神武天皇にさずけられ、熊野平定に霊威を示したという剣で、一振すればたちまち国中が平穏になるという霊剣(れいけん)です。この霊剣は宮中に祀(まつ)られ、崇神天皇(すじんてんのう)の御代(みよ)に、奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)に祀られ、現在に至るまで国の鎮(しず)めとして崇拝(すうはい)されています。

鹿島神宮の刀は、この「平国の剣」のレプリカなのです。この刀は、直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ) というそうです。

この剣も、(ふつのみたまのつるぎ)」「平国剣(ことむけのつるぎ)」とも呼ばれ、柄(つか)・鞘を含めた全長2.71m、刃長2.24mの直刀で奈良時代末期から平安時代初期の制作であろうといわれています。出土した刀ではないといわれ、国宝に指定されています。
                 
直刀の全長は、びっくりするほと長大なもので、人の力で扱うことはできません。現在、鹿島神宮の宝物館で見ることができます。この刀の完成度は、とても高く、名工の作と考えられますが、製作者は、不明です。

直刀は斬ることよりも突くことにその用法の特色があり、次の時代に出現した反りのある太刀は斬ることを主目的としています。

日本刀の製作は、平安後期から鎌倉時代にかけて、大和国備前国山城国相模国美濃国の五ヶ国を中心として、各地に名工が輩出したそうです。

江戸時代の新刀の時代になると、これに飽き足らずに、自ら学んだ伝法に他の伝法を合わせて新しい技法を誕生させる人も各地に現れ、その技法は現代刀にも受け継がれていきます。


さて、長唄「小鍛冶 」に話を戻しますと、


「小鍛冶」の長唄は、お能謡曲「小鍛冶」のストーリーをもとにして作られています。その筋書きは、

「一条の院」より剣の鋳造を勅命された、小鍛冶三条宗近(こかじさんじょうむねちか)が、刀を鍛える時に相槌(あいずち)を打つもう一人の人がいないので、進退(しんたい)窮(きわ)まって、稲荷明神(いなりみょうじん)に救いを求め、その神力によって無事、名刀小狐丸(こぎつねまる)を打ち上げる

というお話です。

以下に長唄「小鍛冶」の歌詞を記します。
 

長唄「小鍛冶」
 
♪稲荷山三つの燈火明らかに 心をみがく 鍛冶の道 
子狐丸と末の世に残すその名ぞ著るき
 
それもろこしに 伝へ聞く 龍泉太阿はいざ知らず 我が日の本の金工 天国天の座神息が 国家鎮護の剣にも 勝りはするとも劣らじと 神の力の相槌を 打つや 丁々しっていころり 余所に聞くさへ勇ましき
 
打つといふ それは夜寒の麻衣 をちの砧も音そへて 打てやうつつの宇津の山 
鄙も都も秋ふけて 降るやしぐれの初もみぢ こがるる色を金床に 火加減湯かげん 秘密の大事 焼刃渡しは陰陽和合 露にも濡れて薄紅葉 染めていろます金色は 霜夜の月と澄み勝る手柄の程ぞ類ひなき 清光りんりん 麗しきは若手の業もの切ものと 四方にその名はひびきけり♪


適当に意訳してみますと、

稲荷明神の灯明は、隅々まで霊光で照らし続けています。刀を鍛える鍛冶の仕事は、全身全霊をこめて、わが身をなげうって、心を磨くことなのです。
「子狐丸」は、後世にその名を残す名刀です。

唐の国に伝わる龍泉や太阿は知るよしもありませんが、この日本の名工、天国や天の座や神息が鍛えた国家鎮護の刀と比べて、たとえ勝ることはあっても劣ることはないようにと稲荷明神の神力で、小鍛治の相槌を打ったのです。

刀を打つ音が丁々と響き、それはよそで聞いているだけでも勇ましいものでした。

刀を打っていると、その鎚音に呼応するかのように、どこか遠くから聞こえる砧の音も加わって、一心不乱に打っていると、夢ともうつつともつかぬ忘我の境地に陥ってゆきます。

田舎も都も秋更けて、折からの時雨が紅葉に降りかかる。そのさまは、金床に置いて鍛錬している、真っ赤に焼けた刀身に似ています。

刀を熱する火加減や刀を冷ます湯の具合は、秘伝の鍛冶の真髄なのです。

刀に命を吹き込む焼き刃渡しは、陰と陽との和合の力が肝要なのです

露に濡れた紅葉が次第に色を濃くしていくように、魂のこもった槌に打たれて赤く色づく刀身は、やがて霜夜に輝く三日月のように澄み渡ります。

これこそが他の追随を許さない小鍛治の業物(わざもの)なのです。

この光輝く美しい子狐丸こそ理想の名刀だと、日本国中すみずみにまで、その名は知れ渡りました。



長唄「小鍛治」にはさまざまな刀が登場します。

龍泉(りゅうせん)と太阿(たいあ)は、中国、唐の国に伝わる名刀です。

我が国に伝わる、天国(あまぐに)、天の座(あまのざ)、神息(しんそく)は、それぞれ古代日本の有名な刀鍛冶(かたなかじ)の名前であり、彼らが鍛えた刀のことも指します。

天国・天の座・神息とともに三条宗近(小鍛治)も名刀といわれています。


お正月は、伝統文化にふれる数少ないチャンスです。

現代は、西洋文化にとけこんでいますが、たまには、古代から現代に伝わる、DNAにとけこんでいるような、私たちのインビジュアル・パワー「見えざる力」を見つめてみるのもいいものだと思います。