なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

若葉の中で囀るウグイス

「春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる」(夏目漱石 「草枕」より)

3月29日のお昼時の手賀沼遊歩道は、ぽかぽかと暖かく、私は、仕出し屋から誂えた「花見弁当」を食べた後は、特に余計に眠たくなるように感じました。

私もだんだん眠くなり、近くで囀(さえず)るウグイスの声もだんだん「うっとり」と聞こえ始め、まるで私がウグイスになって囀っているような気もしてきました。



「鶯を 魂にねむるか 矯柳」      (松尾芭蕉

  (うぐいすを たまにねむるか たおやなぎ)

意訳: 柳の枝が眠っています。しなやかな柳はまるで春の鶯に自分がなってしまった夢を見ているのでしょうか。


荘子(そうじ 中国,戦国時代の道家の思想家 荘周)が、夢の中で自分が蝶か、蝶が自分か区別がつかないといっていたので、その故事をふまえ芭蕉は春眠中の柳が鶯に変化した夢をみているのではないかと詠(よ)んでいます。


注」荘子の思想を表す代表的な説話として胡蝶の夢がある。「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れている。(ウィキペディアの「荘子」の説明より引用)


人間も植物も春眠は心地よいものです。ウグイスも眠いのでしょうが、眠さをこらえ緑葉の中で囀っているのでしょうか?

手賀沼遊歩道のウグイスは今日も忙しげに囀りながら動き回っていましたが、突然、真っ逆さまに落ちるようにヨシの茂みに姿を消しました。

ウグイスもやっぱり眠気に耐え切れなくなって木から落ちたのでしょうか?