桜が散っても、時々、ウグイスの鳴き声が聞こえてきます。
我が家の近くのウグイスが、いつも棲んでいる雑木林の藪を抜け出して、人家の木々に出張って鳴いています。
鶯の姿は見えないのですが、居間で寝転がってウトウトしている時に聞くその鳴き声は、なんとも言えないいい気分にさせてくれます。
そんな時、盛唐の詩人、王維(おうい)の漢詩「田園楽(でんえんらく)」が頭をよぎります。
田園楽 王維
桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。
桃は紅くれなゐにして 復また 宿雨を含ふくみ,
柳は緑にして 更さらに 朝煙てうえんを帶おぶ。
花 落ちて 家童 か どう 未いまだ掃はらはず,
鶯 うぐひす啼なきて 山客さんかく 猶なほ眠る
意訳
桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむっています。
花が庭先に散り敷かれていますが召使いの少年は掃き清めたりはしません。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有ります。
また、さらに、良寛さんの業平(なりひら)の本歌取りの和歌の心境もよくわかります。
「鶯(うぐいす)の たえてこの世に なかりせば
春の心は いかにかあらまし」
(良寛)
意訳:鶯がもしこの世の中に全くいなかったならば、春における人の心は、どんなに物たりなく満たされないことであろうか。
我孫子市は、町中でも、まだ、自然が残っているのかもしれません。
参考:家の近くのウグイスは、姿を見せないので手賀沼遊歩道で最近撮影したウグイスの写真を掲載します。