なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

再掲:「谷津干潟のハマナスの花と実」

今回も以前の8月に掲載した「谷津干潟ハマナスの花と実」を再掲します。



谷津干潟の路傍に綺麗(きれい)なピンクの花が咲いていました。

ハマナスの花です。

皆さんは、ハマナスの花をどうして知ったのでしょうか?

私はこの花の名前を知ったのは、「知床旅情(しれとこりょじょう)」の歌詞からです。

知床旅情」は森繁久彌もりしげひさや)氏が作詞・作曲して、「しれとこ旅情」の題で昭和35年(1960)に発表し、加藤登紀子(かとうときこ)さんなども歌っていました。

この歌は、学生時代によく歌ったので、実物の花は知らないまま、ハマナスの花の名前だけは知っていたのです。

また、その後「宗谷岬(そうやみさき)」という歌にもハマナスが歌われたので、ハマナスの花の名前だけはその後も記憶に残りました。

宗谷岬」は昭和49年(1974)に吉田弘氏の作詞、船村徹(ふなむらとおる)氏、作曲の歌で,NHKの「みんなのうた」で、ダ・カーポによって歌われました。とても爽やかな曲でした。

歌われた場所が北海道だったのでハマナスの花は、北海道に咲く花と思っていました。

ですからハマナスの花が千葉県の谷津干潟の路傍に咲いているとは、夢にも思っていませんでした。ところが、何年か前に、谷津干潟の路傍の「立て札」に「ハマナス」との表示があったので、その近くを見てみると萎(しな)びたピンクの花と黄色の実がたくさんなっていました。

この萎びた花は、自分の思い描いていたハマナスの花のイメージとには大きなへだたりがありました。歌の中の花のイメージは、とても綺麗だったからです。

その時は、北海道の本場では、綺麗な花でも、千葉などでは、あまり目立たない花なんだと思って、それほど気にもとめていませんでした。

先日、谷津干潟で以前見た同じ場所でピンクの綺麗な花をみつけました。

もう以前に見た「ハマナスの立て札」は、なくなっていましたが、まちがいなくハマナスの木です。

千葉でも、こんなに綺麗にハマナスが咲くのだと思って今回は、少し調べてみました。

ハマナスは漢字で浜茄子・浜梨・玫瑰と書き、バラの仲間で1.5mほどの落葉低木で5月から8月にかけて道東・道北一帯では、自生のハマナスの群落が、華やかなピンクの花を咲かせるそうで、北海道の道花に指定されています。ハマナスの花は、野生のバラの中では、最大の花とのことです。

ハマナスの分布は、北海道だけでなく、東アジアの温帯、亜寒帯に広く分布し、日本では本州の茨城県以北の太平洋側および鳥取県以北の日本海側の海岸の砂地でも見られるとのことです。

千葉は、茨城県以北ではありませんが、ここでも立派に咲いていました。

でもこの谷津干潟ハマナスは、野生の木ではなく、「植栽された」ハマナスの木なのかもしれません。

それでも、自分の住んでいる千葉県でハマナスの綺麗な花の実物が見れたので、とてもうれしくなりました。

ところで、「玫瑰」は中国から来た文字で、中国ではメイグイ(mei-gui)と発音するようで、日本では「マイカイ」あるいは「バイカイ」と呼ばれていて、江戸時代から「ハマナス」と混同して使用されたようですが、現在では、別種とのことです。しかし、短歌や俳句では今でも、この字をハマナスを表す漢字としているそうです。

そのため、「ハマナス」は、明治時代以降に、初めて俳句や短歌に、玫瑰(メイグイ)の名前で頻出するようになったようです。



「玫瑰(はまなす)を 噛めば酸かりし 何を恋ふ」   (加藤楸邨