我が国の古典に出てくる「都鳥」は、現在の和名のミヤコドリ ではなく、ユリカモメとの説が有力だそうです。
その根拠の一つとして、『伊勢物語』の「九段 東下り」があげられます。
なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。
(中略)さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
現在の京都ではユリカモメは鴨川などで普通に見られる鳥ですが、鴨川に姿を見せるようになったのは、1974年のことだそうです。
それ以前は「京には見えぬ鳥」だったのです。
上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF100-400mgm F4.5-5.6L IS II USMを装着して手持ち撮影しました。
手賀沼公園で餌をねだるユリカモメたちです。今日も公園に来る人たちに騒がしく餌をねだっていました。
この中に隅田川にいたユリカモメが、混じっているのかもしれません。なぜなら、隅田川で標識を付けたユリカモメが、以前、手賀沼で発見されていますので⁉️