なかなかなかね野鳥と自然の写真館

疾風怒涛の時代が過ぎ去っていきます。私たちがその中で、ふと佇む時、一時の静寂と映像が欲しくなります。微妙な四季の移ろいが、春や秋の渡りの鳥たちや、路傍の名もない草花にも感じられます。このブログは、野鳥や蝶、花や野草、四季の風景などの写真を掲載しています。

手賀沼を泳ぐカンムリカイツブリ

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF100-400mgm F4.5-5.6L IS II USMを装着して手持ち撮影しました。

11月17日手賀沼上沼を泳ぐカンムリカイツブリです。

カイツブリの仲間で一番大きいカンムリカイツブリは、毎年10月頃手賀沼に飛来して越冬し、翌年春に還りまず。

3~4羽泳いでいましたが、寝ながら浮かんでいるのもいるので起きて首を伸ばしているのを見つけて撮影しました。

電柱の上のハヤブサ

 

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF100-400mgm F4.5-5.6L IS II USMを装着して手持ち撮影しました。

 

11月17日朝手賀沼付近の電柱の上のハヤブサです。

地上の獲物を探して電柱の場所を変えながら狙っていました。

 近年、このハヤブサが都市周辺で増加傾向にあるようです。ハヤブサオオタカ同様に、都市環境にたくさん暮らしているドバトを捉えるようになり、餌を豊富に得られるようになってきたのです。

また、自然環境下でのハヤブサの繁殖場所は、断崖(だんがい)の棚になったような所が主ですが、都市環境下のビルがこの断崖(だんがい)の代わりに使われるようになってきたようです。

 こうした傾向は全世界的なようで、カナダのトロント市街での高層ビルでの繁殖などが知られています。

手賀沼利根川導水路付近の鉄塔で、時々ハヤブサの狩りを見ることができます。

 

「まなこをあげて落つる日の
 きらめくかたを眺(なが)むるに
 羽袖(はそで)うちふる鶻隼(はやぶさ)は
 彩(あや)なす雲を舞ひ出でゝ
 翅(つばさ)の塵(ちり)を払ひつゝ
 物にかゝはる風情(ふぜい)なし」    

島崎藤村 「新潮」より)

 

真っ赤なニシキギ

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF70-200mm F4L IS USMを装着して手持ち撮影しました。

我が家のニシキギは、ますます赤みが、増してきました。

「錦木の実もその辺も真赤かな」 高浜虚子

 

昔、奥州では、恋しい女の家の前には男が錦木の束を立てかける風習があったと言われています。女は承諾すると束を家に入れ、不承諾なら放置しましたが、男はたとえ駄目でも干し束を積んだと言います。


西行法師に次の歌があります。


立てそめてかへる心はにしき木の干束待つべき心地こそすれ

参考 陸奥の錦木のお話/

昔々、政子姫というたいへん美しい娘がおりました。
錦木を売っている黒沢万寿という若者が、政子姫に恋をしました。
若者は、錦木を姫の家の門に1束立てました。


この土地(秋田県鹿角市)では、求婚の為に女性の住む家の門に錦木を立て、
女性がそれを受け取ると、男の思いがかなった印になります。


万寿は来る日も来る日も錦木を立てて、3年3か月ほどたったところ、
錦木は千束にもなりました。


姫は子供を掠う大鷲を追い払う布を織っていましたが、やっと出来上がり、
万寿の思いを受け止め、万寿の立てた錦木を取り入れようとしたら、
父親が「ならぬ!ならぬ!」と反対し禁じられてしまいました。


万寿は落胆の余り死んでしまい、
政子姫も後を追うように死んでしまいました。
反対した父親は、後悔し二人を千束の錦木と共に葬りました。
これを人は「錦木塚・錦塚」と言います。

 

杭を奪い合うユリカモメ

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF70-200mm F4L IS USMを装着して手持ち撮影しました。

11月14日午後の手賀沼公園の杭をユリカモメが奪い合っていました。先着したユリカモメが抵抗しています。

最後は追い払ったようです。

可愛らしいユリカモメも生存競争は過酷で、この場所で来春まで暮らしていく事になりそうです。

鳥の世界も生きるための争いは、絶えないのでしょうか?

   

塩にしてもいざことづてん都鳥 芭蕉

 

 かの「伊勢物語」の隅田川のエピソード、「名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」のパロディ。江戸に滞在していた青木春澄が京へ帰る際の送別句。都鳥を塩漬けにして土産に持たせてやりたい、と云った意味 都鳥は、ユリカモメのこと。

紅葉葉の中のメジロ

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF100-400mgm F4.5-5.6L IS II USMを装着して手持ち撮影しました。

 

11月12日にあけぼの山公園で撮影したメジロです。

枝と枝の間を器用に動き回って餌を探していました。

 

 メジロは、日本、中国、朝鮮半島など東アジアの一部に留鳥として分布し、日本では寒冷地を除くほぼ全土で広く生息しています。

 メジロはスズメよりも小さく全長12㎝前後。目の周りの白い縁どりが特徴で、メジロ(目白)という名前の由来となっています。また、「目白押し」という言葉も、メジロが木にとまる際、お互い押し合うようにぴったりと枝に並ぶことが語源とされています。

事例1 樋口一葉 たけくらべ一「狭き校舎に目白押メジロオシ)の窮屈さも教師が人望いよいよあらはれ ...

事例2 光瀬龍 たそがれに還る⇥人々は口をつぐんだまま目白押しになってその小さな光点をいつまでもあかず見つめていた

メジロの食性は雑食ですが花の蜜や果汁を特に好み、早春は梅の花に群がる様子がよく観察されます。

 

 メジロの聞きなし メジロは、いい声で鳴くので 長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛と口まねされているようです。

 

メジロ」と「ウグイス」が混同されることが多く、「ウグイス色」はメジロの色なのではないかといわれています。

 

「ウグイス色」はもっと地味な茶褐色なのです。

 

「梅に鶯(うぐいす)」という言葉があり、花札をはじめ日本画や文学などでよく登場しますが、実際に梅の花蜜を好んで吸いにくるのは「メジロ」であり、暗い藪などで虫を食べるのを好む「ウグイス」が梅の木にとまることはほとんどありません。

 近所の梅園でウグイスの声を聞くことがありますが、その時、梅にいるのは、いつもメジロです。

 ウグイスは、近くの藪で鳴いているようです。

 

いまはただ眼白の鳴ける霧の木々 /水原秋櫻子

手賀沼遊歩道のスズメ

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  上の写真はキヤノンの一眼レフEOS7DmarkⅡにCANON EF100-400mgm F4.5-5.6L IS II USMを装着して手持ち撮影しました。

手賀沼遊歩道の雀です。

手賀沼の葭原から一斉に飛び出して遊歩道の枝に

止まった雀です。

手賀沼にはたくさんの葭原の中に雀のお宿が、あるようです。

 

雪うづむ 苑のくれ竹 をれふして 
ねぐらもとむる群雀かな
  ~西行玉葉和歌集

 

雪に埋まった庭の呉竹が折れ伏して
それをねぐらにしようと雀が群れ騒いでいる。

 

 この歌の庭とは御所清涼殿東庭。その北側に呉竹が植えられていました。竹に雀の取り合わせは家紋のデザインにもなって、上杉家や伊達家などがこの紋を使っていたようです。