上の写真は、EOS7Dマーク2にCANON EF70-300mm F4.5-5.6 DO IS USMを装着して、手持ち撮影しました。
2月12日晴れの朝、まだ咲きそめし梅林の木陰に咲いていた水仙です。
とても可憐で、楚々とした艶やかな佇まいでした。
水仙といえば「ナルシスト」というイメージが強いかもしれませんが、水仙にもいくつかのよい意味の花言葉もあります。「気高さ」や「神秘」といった花言葉は、水仙の凛とした美しさにぴったりです。すっと伸びた茎の先で可憐に咲く水仙は気高さを感じさせますし、水辺にたたずむ姿はどこかこの世のものとは思えない神秘的な美しさです。
白鳥が 生みたるものの ここちして
朝夕めづる 水仙の花― 与謝野晶子
【現代訳】
寒のさなかに咲く水仙はまるで白鳥が生んだような思いになる花です。
朝にも夕暮れにも愛でたくなるすばらしい水仙の花。
英国の代表的ロマン派詩人ワーズワースの名高い「黄水仙⌋の詩と素敵な東大名誉教授上島建吉の和訳を以下に掲載します。
THE DAFFODILS
William Wordsworth
I wandered lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.
Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay:
Ten thousand saw I at a glance,
Tossing their heads in sprightly dance.
The waves beside them danced; but they
A poet could not but be gay,
In such a jocund company:
I gazed—and gazed—but little thought
What wealth the show to me had brought:
For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the daffodils
< 黄水仙 > 上島建吉:訳
谷また丘の空高く
ひとり漂う雲のごと
さまようわれのふと見しは
群れ集いたる黄水仙
湖水のほとり木々の下
風にひらめき踊るなり
きらめく星の切れ目なく
連なる銀の河に似て
涯(はて)なく続くその帯は
汀に沿いて延びるなり
ひとめ百千(ももち)の花頭
風に吹かれて踊るなり
かたえの波もともどもに
きらめき躍る嬉しさに
詩人(うたびと)われも心浮き
愉しき仲間に加わりぬ
眺め眺めてその後に
残りし富を悟らざり
時経て寝椅子に身をゆだね
つれづれ侘ぶる目の奥に
かの花々をひらめくは
ひとりある身の冥加なれ
すなわち充つる歓びに
われ水仙と踊るなり
谷また丘の空高く
ひとり漂う雲のごと
さまようわれのふと見しは
群れ集いたる黄水仙
湖水のほとり木々の下
風にひらめき踊るなり
きらめく星の切れ目なく
連なる銀の河に似て
涯(はて)なく続くその帯は
汀に沿いて延びるなり
ひとめ百千(ももち)の花頭
風に吹かれて踊るなり
かたえの波もともどもに
きらめき躍る嬉しさに
詩人(うたびと)われも心浮き
愉しき仲間に加わりぬ
眺め眺めてその後に
残りし富を悟らざり
時経て寝椅子に身をゆだね
つれづれ侘ぶる目の奥に
かの花々をひらめくは
ひとりある身の冥加なれ
すなわち充つる歓びに
われ水仙と踊るなり