谷津干潟でメダイチドリの動きを見ていると、千鳥足で動き回るため、次に行く場所の予測が困難です。
このような千鳥足はランダムウォーク(Random Walk)と呼ばれ、日本語訳では酔歩(すいほ)といわれています。
どっちに動くか確率が五分五分であることから現代の金融工学(financial engineering)において、短い時間の為替変動などは先読みの出来ないランダムウォークだと仮定している理論が多いのです。
また、花粉を水に浮かべると花粉についていた微粒子が飛び出して、予測できない乱雑(ランダム)な動きを観察することができます。
このような運動は、ブラウン運動と呼ばれています。
1827年にロバート・ブラウンが、水の浸透圧で破裂した花粉から水中に流出し浮遊した微粒子を、顕微鏡下で観察中に発見し論文「植物の花粉に含まれている微粒子について」を発表されたことから命名されているそうです。
この現象は、長い間原因が不明のままだったのですが、1905年、アインシュタインにより、「熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によって引き起こされる現象である」とする理論が発表されました。
こんな自然の動きにも人間は、知識欲がかきたてられその純粋理論を作り上げてきました。
人間の経済的欲望は、その純粋理論を、その応用としての金融工学の外国為替相場(がいこくかわせそうば)の分析にまで活用してきているようです。
そんなお話を以下に説明してみます。
今となっては昔のことですが、太平洋戦争中(1942年)に日本の数学者の伊藤清(後、京都大学名誉教授)が、粗末なガリ版の印刷の論文だったようですが、少数の研究者に「確率微分方程式の理論」(伊藤の補題(Ito's Lemma))を発表したそうです。
確率微分方程式は、ブラウン運動を記述したアインシュタインの有名な論文の後、ランジュバンに引き継がれ、後に伊藤とストラトノビッチが確率微分方程式に数学的基礎付けを行ったといわれています。
一方、投資を考える場合での株価の変動も乱雑に動くのでなかなか予測することができません。
そこで米国のフィッシャー・ブラックとマイロン・ショールズという人がデリバティブ(金融派生商品)のオプション取引における、オプション料の価格付けの算定に用いられる計算式を作り上げました。後にロバート・マートンがブラック・ショールズ方程式を厳密に証明し、1997年にショールズとともにノーベル経済学賞を受賞しています。(ブラックさんは存命していなかったので未受賞)
日本経済新聞(2006年8月23日朝刊)によれば、
「マイロン・ショールズ(スタンフォード大名誉教授)は、「伊藤名誉教授の確率微分法は、数学の長い歴史の中でも重要な基礎となる偉大な業績だ。私とフィッシャー・ブラック氏がオプションの価格モデルを算出するブラック・ショールズ方程式を考案し、マートン氏が確率微分法の考え方を使ってそれを証明した」
と語っています。
数学の「ガウス賞」初代受賞者で純粋理論の研究者である伊藤先生は、なせ見知らぬ米国の金融工学の研究者から感謝されるのか当初、訝(いぶか)ったようです。先生は株の世界などとは全く無関係な学究的生活をしていたそうです。それなのに、今では、伊藤先生は米国ウォール街で最も著明かつ尊敬される日本人といわれているそうです。
つまり、ブラック・ショールズ方程式を使えば確率分布関数の正規分布で将来の株価が予想できそうで、その分布から外れたら買われ過ぎか売られ過ぎだからオプション(裁定)取引をすればよいというものです。
かって世界中の富豪から資金を集めてノーベル経済学賞受賞者が設立したロングタームキャピタルマネジメント社(LTCM)がこれらの理論を使って各国の為替相場で大儲けをしていましたが、ロシア金融危機の際に大破綻(だいはたん)して、米国政府が救済するという未曽有(みぞう)の世界金融市場の大事件がありました。
オプション価格の算出モデルにはいろいろありますが、ブラックショールズモデルは計算の手間がかからないという理由から実務的なのでいまでもよく用いられています。
経済新聞にはいつもブラック・ショールズ方程式のパラメータとなるボラティリティが掲載されています。
でも金融で「確実に儲かる」などのうまい話は、たとえノーベル賞級の経済学者たちが大型コンピュータを駆使したとしても、前提が壊れれば大失敗するのです。
「ご用心! ご用心!」
夏羽のメダイチドリは、お金とは全く無関係で、ゴカイを探してランダムウォークしていました。
ゴカイを採ったメダイチドリは、誇(ほこ)らしそうに見えました。